真面目に働く人たちがバカを見る世の中

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

 

2013年4月に短期決戦を志向して始まった中央銀行による史上空前の金融緩和政策は、泥沼の様相を呈し未だに出口が見えず、膨張するマネーは株式市場に流れこみ、私たちの生活の実感からは離れていくばかり。コロナ対策の名の下、世界各国で繰り広げられた財政出動によるマネーのバラマキは、スマホ片手に株式市場でマネーゲームに興じる人を増やし、人々の労働意欲を削ぐばかり。
 
実体経済の中で、泥にまみれ汗を流して誰かのために働いて手に入れる一万円。
金融経済の中で、少しの間スマホをさわって誰かから奪って手に入れる一万円。
 
どこかおかしくないか?
誰かのために真面目に働いて手に入れる一万円と、誰かから奪って手に入れる一万円が同じ価値だなんて。
同じ一万円なのに、その価値はどんどん乖離して揺らいでいる。こんなんじゃ真面目に働くのがバカみたいだ。
 
だけど、立ち止まらなくてはいけない。
真面目に働く人たちがバカを見る世の中って、本当に幸せな世の中なのか?
 

 

 
 いつのまにか仙人乃路

時代の流れに、流されるでもなく、逆らうでもなく、その流れから逃げ出し、川辺で、その流れを眺めている。
 
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
 
 
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