下々の封建時代学部

皆様、武録御笑覧下さり、段々辱なうござりまする。

 
政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
どら蔵(14)
 腹ぺこや。眠たい。昨夜は鯉菊といつもより仲良うして、ほんの一睡しただけやもんなあ。そうや、おれも不間なこと、何もここまで歩かんでも途中で饂飩屋か鮨屋に寄ったらよかたのや。銭はまだちょっとは残ってたのに、何でやろ、そんなことを考えもせんかった。いっそ心斎橋の南まで下って福本で玉子焼きの鮓、あのぶ厚うて甘い玉子焼きと酢飯。いや、贅沢は言わん。饂飩をつるつるっと啜ろ。何ちゅうたかな、あの店。薄揚げの刻みと葱の刻み、そこに甘辛う煮つけた椎茸がちょこんと盛ってある。そやから出汁がほんのり甘うなって、昆布の旨みが。
 あかん、目が舞う。
 
 
 
ご覧の風景は
 
 
提       供
 
 
 「楽しい!」製造業
 
 雲洲粋縁
 
 
We are SAMURAi Company
 
亀田山社中
 
 
でお届けしました。