「もしも」を考えることは、思考力を鍛える。

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

 

(続き)

 友人の人類学者、松村圭一郎さんが、ミシマ社の雑誌『ちゃぶ台』第5号で「もし明日国家がなくなったら、大学に教えにいくだろうか」という問いを立てていた。私は、松村さんと同じ答えだった。学生たちが求めるならば大学に教えにいく。たとえ、大学がなくなっても、私はどこかで学生たちを待つ。研究を続け、本を書き、郵便局や本屋や公共交通機関がなくても、本を持って歩いて友人たちに配りに行くだろう。教えることと研究することは私の存立と切り離せないからだ。

 

藤原辰史「羅針盤 「もしも」の思考」より

 
 
 政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
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