極御人と「食」の散歩道

皆様、武録御笑覧下さり、段々辱なうござりまする。

 

 

 

極御人(きわめみと)とは、
ただの案内人ではない、城塞るろうに、として各地の城を踏破し、
その道を極めたきわめみとが、
地元雲州の城の魅力、秘話、こぼれ話を語り尽くします。
(たまに、極道者との見解も)
 
 
松江藩でも力を入れていたという捕鯨
その捕鯨基地を訪ねつつ、クジラを堪能するのは如何。 
 
 
 政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 江戸では「正月迎え」として煤払いのとき鯨汁を食べる習慣があった。黒皮つきの白い脂肪層を塩蔵した加工品で、塩と脂を抜いて料理に使う。冷水にさらし、酢味噌や辛子味噌で食べる「さらし鯨」、鯨のぬた「鯨なます」、塩蔵した軟骨を湯で戻して三杯酢で和える「かぶら骨」などが好まれていたけれど、近隣の土地で捕鯨はおこなわれていないから、鯨のすがたを誰もみたことがない。つまり、どんな動物か知らずに食べていたのである(当時、鯨は魚と考えられていた)。
 じつは、この「寛政の鯨」の頭の骨を埋めて供養した鯨塚がある。当時の洲崎弁天、現在の北品川、利田神社の境内。しながわ百景のひとつにも数えられる
 
 
平松洋子「この味438回  江戸の鯨」より 
 
 
 
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