レケオの民

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

最終段落は、真に同感。今だからこそ。

 

日本人は放っておけば、勝手に努力して、勝手にせっせと働いて、勝手にあれこれ工夫する、そういう人たちの集まりなんだと。

 レケオ人とはいたい何者なのか。

 中国、インド、欧州を結ぶ海洋貿易の中継地として15-16世紀ごろのマレー半島で栄えたマラッカ王国に、異彩を放つ人びとが出入りしていたという。

 正直で気位が高く、奴隷を買わず、同胞を売らない異教徒たち―。

 

「日曜に想う」より
 
政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
ご覧の風景は
 
 
提       供
 
 
 「楽しい!」製造業
 
 雲洲粋縁
 
 
We are SAMURAi Company
 
亀田山社中
 
 
でお届けしました。