共感化

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

最終段落は、真に同感。今だからこそ。

 

 

「共感化能力」は「顧客のニーズを感知する」「時代の気分を共有する」「社会の底流的変化を感知する」といった能力であるが、これは個々人に潜在化していて、意識されない能力、暗黙知に属する能力である。いわば能力のストックであり、ストックが豊富であるほど創造的価値を生みだす可能性をもつということができる。この「共感化能力」をベースに形成化が行われる。形成化には、「キーワード」や「コンセプト」などの概念として言語化する「概念化能力」と視覚などの人間の知覚に訴える具体的形態を作り出す「形態化能力」がある。

 

山本武利「現代広告学を学ぶ人のために」より

 
 
 政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
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