観光立国

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

まずは再録。

 

 宿泊や飲食業は収益基盤が目立って弱い。賃金水準も低い。これでは、どんなに多くの客が地方を訪れても、地元の若者は大都市圏に就職先を求めてしまう。残された地方は人手不足に拍車がかかるばかりだ。

 高齢化の進む社会では、就業者1人あたりの収益をどれだけ伸ばせるかが、発展のカギとなる。製造業では当たり前の話だが、サービス業ではなかなか浸透してこなかった。

 

   
 つまり、公が、なんでもかんでもボランティアを使ってやろうとすると1人あたりの収益は伸びないまま、と。政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 続いて、新録。
遺言も遺書も字面は似たようなものだが。
 
 
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
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