勝手に

皆様、武録ご覧下さり、段々辱なうござりまする。

最終段落は、真に同感。今だからこそ。

 

日本人は放っておけば、勝手に努力して、勝手にせっせと働いて、勝手にあれこれ工夫する、そういう人たちの集まりなんだと。

 日本人は「お上」なんかアテにしないで自分たちで適当に助け合ってなんとかしてきた。日本人の心の中には、国家とか政府とかという概念がそもそもない。逆に言うと、近代国家に相応しい政府に国民が育ててこなかった。

(中略)

 明治初期に日本に来た外国人たちは、まず町が整然としていることに驚き、次にどの田畑も手入れが行き届いていることに感心した。エディ・ジョーンズの発言にそれを重ね合わせると、発言の射程はぐんと遠くなり、「規則」は「法則」「摂理」「ものの道理」という意味を帯びてくる。

「無能だからこそ、うまくいっている」と言った友達は、日本人が勝手に努力して勝手に働くことを喩えて、「猫が暇さえあれば毛づくろいしているのと同じ」と言った。いい喩えだ。

(中略)

  それならば、国は何をすればいいか?  これを機に一気にベーシック・インカムにするのがいい。一律十万円の給付を毎月続けるのだ。家計に余裕のある人は寄付なりクラウドファンディングなりするだろう。

「国が自動的にお金をくれたら、働かなくなってギャンブルばかりする」なんて心配はない。そんなことするのは一部で、大半はマイペースで働き続ける。課された労働でなく。喜びとしての仕事をそれぞれが見つける。

   
保坂和志「夏の手前で」より
 
 
お抱えの武家ベーシック・インカムに近い。政治・経済・環境・道徳、あらゆる面で、今の日之本が参照にすべきは明治の御代ではなく、江戸時代・成熟した封建時代ではないでしょうか?そういう意味で「封建時代学部」を、そういう名称があるかどうかは別にして、名乗りたいと存ずるのでござりまする。単に封建時代を賛美して終わるのではなく。
(毎週金曜日に新規公開の予定)
 
 
 公がいちばんきびしき当ったのは大名という支配階級の領主であり、次にきびしく当ったのが行政官である武士、それから町人の順であった。
物の不足な時代だから悪質な町人はいやでも儲かる。そこで、どんなに儲けても、奢侈禁止令を用意しておいて、その生活面から彼等の横暴を押えて行こうと考えた。そうした点はむしろ、今日の社会主義などより遥かに周到な用意を持っている。
こう書いて来れば、公のめざした政治の実態が、かなりハッキリして来るであろう。
公はゼロに等しい戦国の貧しさから抜けだすために、何よりも先ず義務負担の公平、犠牲の公平を政治の主眼にしていたのだ。特に怠惰のまま贅沢出来るような不労階級の出現を許さず―つまり、正直者がバカを見ることのない国づくりでなければ、平和は続かないという大信念で、自分もまた麦めしを食べ続けていたわけである。
 
山岡荘八(87)「史談 家康の周囲」p161より 
 
 
 
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